記事「東京」 の 検索結果 67036 件
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和田倉橋内濠(和田倉濠)に架かり、皇居外苑東側から日比谷通りに通じる橋で、 平川橋とともに江戸城の貴重な木橋の景観を復元したコンクリート製です。 江戸時代には大名や武士が通行する橋で、一般人は通行不可でした。..
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和田倉門跡和田倉門は元和6年(1620年)に構築され「蔵の御門」とも呼ばれていた士衆通行の橋。明治元年(1868年)の明治天皇の初めてのご東幸の際には、 呉服橋門から和田倉門を通って江戸城西ノ丸に入られたとのこ..
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楠正成像東京の皇居前広場にある楠正成(大楠公)の像。楠正成は後醍醐天皇に忠誠を尽くして戦った南北朝時代に活躍した武将。この像は、住友財閥が 出資し、東京美術学校が制作したそうです。
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伏見櫓皇居の正面鉄橋の傍にある櫓で、別名「月見櫓」とも呼ばれているそうです。 江戸城築城の第2期(3代将軍家光の時)の寛永5年(1628年)に、京都の 伏見城から移築したものと伝えられ、皇居で最も美しい櫓と..
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正門石橋(皇居)皇居の入り口に架かる橋で二重橋と誤認されている橋ですが、この石橋は二重橋ではなく、正門鉄橋が本来の二重橋とのことです。皇居に入るのには、皇居前広場→ 正門石橋→正門→正門鉄橋→宮殿、が正式ルートだそう..
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将門塚東京都千代田区大手町にある平将門の首を祀っている塚。伝承では、将門の首級は平安京まで送られて都大路で晒されましたが、3日目に故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされています。ここはその中の一つで..
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酒井家上屋敷跡皇居(江戸城)大手濠の近くにある将門塚と同じ敷地に案内板があります。 江戸時代の寛文年間、この地は酒井雅楽頭の上屋敷の中庭があった処で、 伊達騒動の終末、伊達安芸・原田甲斐が殺害されたところだそうです..
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北町奉行所跡東京駅八重洲中央口大丸東京店前の歩道に立つ北町奉行所跡の説明版。 現在、東京駅のある辺りは江戸時代には呉服橋門内と呼ばれ、 文化3年(1806年)から幕末まで北町奉行所が置かれていたところです。
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デ・リーフデ号デ・リーフデ号は、慶長5年(1600年)3月16日に、現在の大分県に漂着した約300トンのオランダの商船。生存者の中には、後に江戸幕府の外交顧問になったヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムス(三浦按針..
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ヤン・ヨーステン像東京駅八重洲地下街の外堀地下1番通りにあるヤン・ヨーステンの像。江戸時代の初期に、現在の八重洲のあたりにヤン・ヨーステンの屋敷があり、「八重洲」の地名は、ヤン・ヨーステン が「やよす」と呼ばれるように..
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ヤン・ヨーステン記念碑(日蘭修好380周年記念碑)日本橋三丁目交差点の中央分離帯の中、平和の鐘の足元にある記念碑。 中央区とオランダの歴史的関係は深く、平成元年 (1989年)に 日蘭修好 380周年 を記念し、中央区がここにモニュメントを設置したと..
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同心番所(江戸城)同心とは、江戸幕府の諸奉行・所司代・城代・大番頭などの配下に属し、与力の下にあって、庶務・警備の仕事をしていた下級役人を総称したも の。江戸城の同心番所には大手三の門を警固する与力・同心が詰めていまし..