記事「東京」 の 検索結果 67036 件
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中之門跡(江戸城)江戸城の中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口を作り、 百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていました。 中之門石垣は江戸城の中でも最大級の巨石(35t前後..
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百人番所江戸城の大手門から大手三の門を抜けたところの左手にあるのが、大手三 の門を守衛し本丸御殿最大の検問所であった長さ50mを超える百人番所。 同心が常時百人詰めていたので百人番所と呼ばれるようになったそう..
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大番所番所とは警備の詰所のことで、大番所は大手中之門の内側に設けられ、他 の番所よりも位の高い与力・同心により警備されていたといわれています。 本丸への最後の番所であり、警備上の役割はきわめて重要だったそう..
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松の大廊下跡元禄14年(1701年)3月14日、勅使の接待役(勅使饗応役)であった浅野内匠頭がここで吉良上野介に 斬りかかり、あの有名な忠臣蔵の物語が始まりました。皇居東御苑内に碑がたてられています。
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平川門江戸城の当時の高麗門、渡櫓門、木橋がそのまま残っている門。当時は江戸城三の丸の正門で、徳川御三卿の田安・一橋・清水の各徳川家の登城口であり、また、奥女中の通用門として「お局御門」とも云われていたそうで..
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帯曲輪門(不浄門)不浄門は江戸時代、大名・旗本などの屋敷の練り塀に設けられた戸板一 枚程のくぐり門で、糞尿汲み取り人や死者・罪人などを出入りさせる門のこと。 江戸城では平川門の脇にある小さな門、帯曲輪門が不浄門とされて..
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太田道灌公追慕之碑江戸城は扇谷上杉氏の家臣であった太田道灌により長禄元年(1457年) に築城されました。この石碑は江戸城築城者の太田道灌を偲び、太田道灌の没後450年にあたる昭和11年(1936年)に建立されました。..
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工部大学校跡工部大学校は明治時代初期に工部省が創設した教育機関で、現在の東京大学工学部の前身の一つ。キャンパスは現在の千代田区霞が関三丁目、文部科学省および金融庁のある一帯にありました。
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北白川宮能久親王像北白川宮能久親王は親王家の庶子として生まれ、戊辰戦争では「朝敵」の盟主となりましたが、後には陸軍軍人として台湾平定の英雄とされた皇族です。また、異国の地で不運の死をとげたことで日本武尊にたとえられまし..
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旧近衛師団司令部庁舎明治43年(1910年)に完成した赤レンガ造りの建物。二階建て、スレート葺、 簡素なゴシック風で、明治洋風建築の代表的な存在となっています。当初は近衛師団司令部、近衛第一師団新設後は同師団司令部が使用..
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千鳥ヶ淵高射機関砲台座跡千鳥ヶ淵に面した堤の上に7基残されている高射機関砲の台座跡。皇居 及び周辺をB-29による空襲からの防衛のため、昭和19年(1944年)、 対空近接防御用に開発された「九八式高射機関砲」を設置したそう..
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宮内庁分庁舎(旧侍従長官邸)千鳥ヶ淵に面する現在の宮内庁分庁舎は、二・二六事件当時は、鈴木貫太郎 侍従長官邸であり、安藤大尉率いる150名の襲撃隊が押し入った処。鈴木貫太郎は拳銃で4発撃たれ重傷を負いましたが、 一命は取り留めま..