記事「横浜」 の 検索結果 23653 件
-
二宮金次郎像(小学校)二宮尊徳(通称金治郎、金次郎)の少年の頃の薪を運びながら本を読む像。14歳の時から、尊徳は朝は薪とり、夜は草鞋作りをして、一家4人の生計を立て、これが勤勉の手本とされ、各地の学校にも像が建てられました..
-
海軍道路横浜市の環状4号線の一部で、戦時中は旧日本海軍補給廠が設置されていた瀬谷中学校前交差点~ 旧国道16号までの約3kmの直線道路。桜並木が有名で、春が近くなると雑誌等に掲載されることも多くあります。
-
蚕御霊神塔横浜市泉区の神明社のすぐ傍にある蚕の慰霊をした石塔。塔の背面には慶応2年(1866年)3月に、霜害のため桑が枯れてしまい蚕を育てることができなくなり、蚕を地中に埋めてしまったことが記されているとのこと..
-
北方小学校横浜市中区諏訪町にある明治6年2月10日創立の公立小学校。この土地にはキリンビールの工場がありましたが、キリンビールは関東大震災で倒壊して生麦に移転し、跡地に北方尋常小学校が建設されました。
-
エドモンド・モレル墓エドモンド・モレルは、日本の鉄道導入を指導したイギリスの鉄道技術者。「日本の鉄道の恩人」と賛えられほど貢献しましたが、鉄道開業を目前にした明治4年旧暦9月23日、横浜において結核により、満30歳で没し..
-
風車(フランス山)横浜市の港の見える丘公園に隣接するフランス山にある風車。明治29年(1896年)年にフランス領事館とその官邸が建設された時、このフランス山には井戸水を汲み揚げるための風車が設置されました。
-
ビール井戸跡横浜市立北方小学校の校庭にある、ビールづくりに使われていた井戸跡。北方小学校周辺は、日本のビール発祥の地とされ、この井戸は明治28年(1895年)年から7年間ほどビールつくりに使われていたそうです。
-
ジェラール瓦明治初期にフランス人のアルフレッド・ジェラールが制作した瓦で、山手80番館遺跡傍の歩道の壁面に展示されています。確認されている最も古いジェラール瓦は明治6年(1873)年製で、 関東大震災により崩壊焼..
-
ジェラール水屋敷跡現在の横浜の元町公園付近から湧き出る水は良質で、この水をフランス人ジェラールが横浜港に停泊している船まで運び、商売を行っていたそうです。それで、当時、この付近は水屋敷と呼ばれていたとのことです。
-
我国塗装発祥之地記念碑嘉永7年(1854年)2月13日、ペリー再来航の際、江戸の渋塗職人町田辰五郎が、横浜応接所建物外部のペンキ塗装を命じられ、これが、我国で最初にペンキが使用された最初の例とのことです。
-
中丸家長屋門横浜市泉区新橋町にある明治時代中頃に建築された長屋門で、平成13 年度には「横浜市認定歴史的建造物」に選ばれました。また、周辺も含め 「横浜・人・まち・デザイン賞」を受賞するなど泉区を代表する建築物で..
-
香淳皇后歌碑第2次世界大戦終戦直後の日本を救った「ララ」物資と呼ばれた救援物資の第1船が、昭和21年11月30日に横浜の新港埠頭に接岸したそうです。「ララ」倉庫をご訪問した時に詠まれた香淳皇后の歌碑が建てられてい..