記事「生命」 の 検索結果 1101 件
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自得とは自得とは、決して我見ではない。生命の内奥に力強い生命力が、泉水のごとくこんこんと湧き出で、湖に満々と水がたたえられているごとく、福運に満ちみち、五体は、歓喜と希望に躍動していることである。ありのまま..
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我仏来は自得なりこの三身即一の仏の境涯は、自ら得たるものであり、久遠元初以来、常住のものである。これを自解仏来とも無師智ともいうのである、信解品の「無上宝珠不求自得」も、このことをあらわした経文にほかならない。すな..
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御本尊を受持することで仏道を成ずる池田:後に天台も「霊山の一会、巖然として未だ散らず」という有名な言葉を発しているからです。 ここで一言、誤解のないために言っておけば、末法当今の菩薩の仏道修行としては、なにも南岳の「法華三昧」や、..
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久遠を思い出す野崎:慧思が「法華三昧」を開悟したというのも、そのように『法華経』に肉薄していった結果、文底に秘沈された久遠の本種を、忽然と覚知したということですね。 池田:簡単に言ってしまえば、要するに久遠を思い..
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究極の悟達は自得野崎:それほど厳しい修行を自らに課しても、また『法華経』等を何回読誦しても、やはり仏法の世界においては、正しい師につかなければ、なかなか奥底の悟りは究められないということですね。 池田:いや、究極の..
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奥底にあるものを究めるすなわち慧思は、出家してからの数十年間、『法華経』をはじめとする大乗経典を何千回も読誦し、座禅も小乗禅から大乗禅へと進み、七年間も自己に厳しく修業したけれど、なかなか究極の悟りには到達できなかった。..
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経文によって優劣・浅深がある松本:いわゆる経・律・論の三蔵が、なんの秩序もなく中国へ続々と伝えられたこと。すなわちインドにおいては、初期教団の経典結集に始まって、部派のアビダルマ(阿毘曇)研究による小乗論集、そして大乗仏教..
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古典的なフロイト主義者わたくしは、古典的なフロイト主義者が、(極端な場合において)あらゆる事柄を、病理化しやすく、人間の健康な側面を十分に見ようとしないで、褐色の色眼鏡でなにごとでも見ようとしていることを、批判するもので..
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健康な幼児や児童まったく自発的に、内部から外へ歩が進められ、選択がおこなわれる。健康な幼児や児童は、まさに生命そのものであり、その生命の役割として、手当たり次第に、また自らすすんで、穿鑿ずきで、探求的で、物事に驚異..
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世親の「アーラヤ識」二十世紀後半の現代にいたって、世界の科学者たちが生命の神秘を解明しようとする流れに呼応するかのように、とくに西洋の哲学者や深層心理学者たちが、仏法の唯識思想に注目しつつあるのは、この世親の「アーラヤ..
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生命の基底部分にたくわえられる「アーラヤ識」というのは、われわれの経験世界を構成する観念の、その根源にある種子をたくわえる蔵という意味ですね。アビダルマ仏教の六識の段階では、その認識論の基盤にまで及ぶと、どうしても観念的にならざ..
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龍樹から世親の流れへ龍樹から世親への流れは、そのまま仏法思想の深化を示している。だが、世親はこの段階にとどまらず、さらに一歩ふみこんで『唯識三十頌』を著し、識の根本にある「アーラヤ(阿頼耶識=蔵識)識」なる概念を導き出..