記事「生命」 の 検索結果 1101 件
-
夕焼けが晴天を約束するようにモウラン:先ほど星の終わりについて説明したように、死そのものが生まれ変わることへの始まりであると考えられるのです。その存在の終わりが、生命の発生をもたらし、もっと正確にいえば、宇宙を生じさせるのです。..
-
生命の始と終わり池田:――宇宙はどこであれ、生命が誕生できる条件が整えば生命は誕生する。生命は地球だけのものではない。私は死んだらほかの星へ生まれて、そこでまた平和と正義のための戦いをする、と。 仏典では、至ると..
-
「有限」と「無限」ということについて池田:「有限」と「無限」ということについて、仏教の生命観、とりわけ時間・空間という有限性、限定性を同時に超克しゆく大乗仏教の生命観には、きわめて興味深い視座が説かれています。 私の恩師は、第二次世..
-
自由はつねに相対的池田:絶対的自由主義者のように、何でも思いどおりになるということが、人間の本当の欲求にかなっているのか、それが人間に、真の充足感、幸福感をもたらすのか――よくよく考え直してみなければならないことです。..
-
六根 六識六根 眼、耳、鼻、舌、身、意の六根のことである。 根とは、生命には、対境に縁すると即時に作用する機能が本然的に備わっており、その機能の根源を根という。 六根の対境にあたるものが、六境または..
-
人間の知的成長の過程サド―ヴニチィ: ――ある時ふと、人間は「火とは何なのだろう」という疑問をもった。そして炎を見つめ、その美しさ、多様な姿を見ながら、いったい、この火とは何なのかと考え続けていった――。 この疑問..
-
大通智勝仏大通は心王なり智勝は心数なり 天台宗、華厳宗などでは、識を九つ立てて、第九識の阿摩羅識をもって、如来蔵識、清浄識といい、これを心王と立てる。心王とは心の主体をいい、心数とは心王に対する語で、心にと..
-
わが己心の仏界 薬草喩品五識とは、眼、耳、鼻、舌、身、の識によって、意の識が含まれないゆえに、行動それ自体が五識といえよう。雨が降り、風が吹き、雲が湧く外界の状態それ自体を感ずる姿である。六識になると、意識が加わり、われわ..
-
十界論と九識論 下これらに対して、感覚的、本能的な欲望の追求に始終するのではなく、永遠的な真理を悟ることによって、恒常的な幸福を確立しようとするのが、声聞以上の四つです。 声聞とは「声を聞く」という意味で、先に悟..
-
十界論と九識論 上九識論との関係でいえば、第九識を顕現している生命の状態が仏界です。菩薩は、第九識には到達していませんが、第八識までを顕現している状態と考えられます。声聞と縁覚とは、第七識までをあらわして働かせている..
-
日蓮大聖人と天台大師の実践法中国において一念三千の法門を確立して、日蓮大聖人も敬意を払っていた天台大師の教えたところも、同じであったと思われます。天台大師は、初心の人びとや知的能力のそれほどすぐれていない人には、たとえば、日々..
-
人間教育の肝心池田 人間は、なんらかの目的をもち、そこに打ち込んでいく喜びを知るならば、目先の欲望の充足といった小さな喜びにとらわれることはなくなります。私は、人間の本性の中には、こうした、より高い喜びを求める心..