記事「発祥」 の 検索結果 337 件
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二条城撮影所跡京都市立中京中学校の南東角に建つ、二条城撮影所跡を示す碑。この地に明治43年(1910年)、横田永之助の横田商会により、京都初の撮影所である「二条城撮影所」が開設され、2年間使われたそうです。
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平塚商業発祥地(八幡大門通り・浜大門通り)八幡大門通りは八幡神社(現平塚八幡宮)の表参道で、神社から東海道までの区間。明治20年(1887年)平塚停車場(現平塚駅)開業以来、最初は浜大門通りが繁昌し、次いで八幡大門通りに中心が移ったとのことで..
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頂法寺(六角堂)頂法寺は京都市中京区にある天台宗系単立のお寺ですが、本堂が平面六角形であることから一般には「六角堂」の通称で知られています。華道、池坊の発祥の地としても知られているとのことです。
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蕎麦切り発祥の地山梨県甲州市大和町木賊にある天目山栖雲寺に碑が建てられています。蕎麦は初め、実を粉にして食べるそばがき、そば餅として食べられており、今の様な細く切って茹でた蕎麦(蕎麦切り)はここ栖雲寺の発祥だそうです..
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信州そば発祥の地長野県伊那市の西方郊外、駒ケ岳神宮境内にある行者そば発祥の地の碑。里人たちが役小角か らもらった「そば」の種を 大事に育て「行者そば」と呼び、その「そば」が信州全域 に広がり「信州そば」といわれ発展し..
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明治憲法草創の碑明治20年(1887年)に、料亭東屋で明治憲法の草案づくりが始まったことを記念して、昭和10年(1935年)に、東屋の庭に「憲法草創の碑」が建てられました。その後、東屋の廃業により、碑は40m程東の現..
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明治憲法起草の地ここは料亭「東屋」があった所で、明治20年(1887年)6月から、伊藤博文、伊東巳代治、金子堅太郎、井上毅がここに集まり、ドイツ人顧問ロエスレルの意見書、伊藤らのドイツでの講義筆記などを基に検討を開始..
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小田原馬車鉄道・電気鉄道湯本駅跡小田原馬車鉄道は現在の箱根登山鉄道の前身で、小田原と箱根を結ぶことを目的として、明治21年(1888年)年に設立され、その後電化により明治29年(1896年)には小田原電気鉄道となりました。
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駅伝発祥の碑我が国最初の駅伝は、奠都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」として、大正6年(1917年)4月27日~29日の3日間にわたり開催され、京都三条大橋をスタート地点、上野不忍池をゴールとして行われた..
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国学発祥の地国学は伏見稲荷大社神職であった荷田春満により江戸で始められた学問。荷田春満に最初に入門したのが神田明神神主家の芝崎好高であり、邸宅を講義の場として提供するなど国学の普及・発展につとめたとのことです。
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北方小学校横浜市中区諏訪町にある明治6年2月10日創立の公立小学校。この土地にはキリンビールの工場がありましたが、キリンビールは関東大震災で倒壊して生麦に移転し、跡地に北方尋常小学校が建設されました。
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河内音頭発祥の地室町時代、八尾の常光寺の伽藍再興の際に、造営材木を川を流して運ぶ運搬者の掛け声が「木遣り音頭」となり、念仏踊りと一体となったそうです。昭和初期、音頭取り有志がそれを「流し節正調河内音頭」と表示したそう..