記事「発祥」 の 検索結果 337 件
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日本最初の屠殺場の跡静岡県下田市の玉泉寺境内にある日本最初の屠殺場の跡。幕末の安政3年~6年の間、玉泉寺には米国総領事館がおかれていて、領事館員の食料にするため、仏手柑の幹に牛を繋いで屠殺したそうです。
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牛乳の碑下田市の玉泉寺境内にある日本における牛乳発祥を記念する碑。安政5年(1858年)2月、病床にあった米国総領事ハリスのために、待女お吉が禁を犯して下田近在から牛の乳を集め、ハリスに毎日与えたということで..
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ビール井戸跡横浜市立北方小学校の校庭にある、ビールづくりに使われていた井戸跡。北方小学校周辺は、日本のビール発祥の地とされ、この井戸は明治28年(1895年)年から7年間ほどビールつくりに使われていたそうです。
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ジェラール瓦明治初期にフランス人のアルフレッド・ジェラールが制作した瓦で、山手80番館遺跡傍の歩道の壁面に展示されています。確認されている最も古いジェラール瓦は明治6年(1873)年製で、 関東大震災により崩壊焼..
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我国塗装発祥之地記念碑嘉永7年(1854年)2月13日、ペリー再来航の際、江戸の渋塗職人町田辰五郎が、横浜応接所建物外部のペンキ塗装を命じられ、これが、我国で最初にペンキが使用された最初の例とのことです。
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下岡蓮杖記念碑下岡蓮杖は文政6年(1823年)、下田中原町に生まれ絵師を志しましたが、結局、横浜で写真術を習得し、営業写真館「全楽堂」を馬車道に開きました。下田公園には下岡蓮杖の記念碑と銅像が建立されています。
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横浜天守堂跡みなとみらい線、元町・中華街駅の2番出口を地上に出たところにある碑。文久2年(1862年)、近代日本最初の教会である天主堂がこの地に創建され、これが現在の山手カトリック教会の前身となったとのことです。..
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歯科医学教育発祥之地東京都港区三田の伊皿子交差点に面して 黒御影石の碑が建っています。高山紀斎は、明治23年(1890)年1月、 わが国最初の歯科医学校として、この地に、高山歯科医学院(現在の東京歯科大学)を設立しました..
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京都電信電話発祥の地京都市中京区三条通東洞院、NTT京都支店の南東角に建つ碑。この地に、明治5年(1872年)、西京電信局が設置され、明治30年(1897年)には京都電話交換局が設置され,交換業務が開始されました。
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学習院跡幕末の弘化4年(1847年)、公家のための学問所が京都御所の東側に設置され、この学問所は「学習院」と名付けられました。東京の学習院大学は、この「学習院」の流れをくむものです。
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永昌寺東京都台東区東上野にある浄土宗のお寺。肥前藩主松浦壱岐守の妻、永昌院が開基であるための寺号であるとのことです。加納治五郎がここに講道館を設立し、講道館柔道発祥の地となっています。
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下谷神社東京都台東区上野にある、大年神、日本武尊を祭神とする神社。元は不忍ヶケ岡にありましたが、寛永寺造営時にこの地に移転したとのこと。寛政10年に江戸で初めて寄席が行われた地でもあるそうです。