記事「石橋湛山」 の 検索結果 159 件
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東洋経済新報社の物価指数古いほうの『石橋湛山全集』第15巻(1972年)に「石橋湛山年譜」というものがあって、その「大正14年(1925)41歳」というところに、猪間驥一の名前を発見しました! 9月2日 猪間驥一氏を加えて..
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30年代の農村工業化論争3ここで自由主義経済学者たちの、農村工業化、アウタルキーに対する考え方をまとめておきます(すでに書いているかもしれません。重複があったら申しわけありません)。 石橋湛山・上田貞次郎についてはここでは省..
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30年代の農村工業化論争2農民運動家、中澤弁次郎の主張は、木村靖二のそれとはやや異なっています。1935年に書かれた「都市工業の地方分散と農村工業」は、日本経済の分析から書き起こされています。 都市工業の地方分散化と農村の工..
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石橋湛山と上田貞次郎の接近10月末、博論を提出したにはしたのですが、不備な点があって、ここ何日間か、落ち込んでいます。けっきょくのところ猪間の再評価を遅らせているのが自分なのではないかという気がしてきて、情けなくなります。でも..
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『歴史的調査』研究への疑問『日本人の海外活動に関する歴史的調査』に関する先行研究に、井村哲郎編『1940年代の東アジア:文献解題』第5部「日本人の海外活動に関する歴史的調査」に含まれる、以下の5つの論文があります。 ・小林英..
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社説「先ず功利主義者たれ」中国市場を視察した、農商務省商事課長、鶴見左吉雄の対支貿易意見(講演でしょうか?)を受けて1915年に書かれた、石橋湛山の社説。湛山をアジア主義者とする松浦正孝の『「大東亜戦争」はなぜ起きたのか』への..
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石橋湛山の人口問題「社説」だいぶ前から、この湛山の社説を、いつか載せよう、いつか載せようと考えていたのですが、今日まで来てしまいました。 人口過剰救済策の三種(昭和八年一月一四日号「社説」) 一月七日(昭和八)の『東京朝日..
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『政治経済思想の変遷』1●何度も大きな発見とかいっていると、オオカミ少年のように誰からも信じてもらえなくなるかもしれませんが、またもや…。 ●一昨日、東大でI先生の講義を聴いた後、経済学図書館へ行って、猪間驥一のいくつかの..
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日本における人口問題文献2小田橋貞壽「日本における人口問題文献」の中の必ずしも猪間驥一関連でない論文ですが、人口問題関連ということで載せておきます。 東洋経済新報社、我国人口増減の解剖(同誌一一七号、大正十五年一月) 明治..
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大学院の紀要が出来ました昨日、大学へ行って出来上った大学院の紀要を受け取ってきました。何度も書いて申しわけありませんが、タイトルは以下の通りです。 『日本人の海外活動に関する歴史的調査』成立の過程 ――経済学者、猪間驥一..
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博士論文のためのメモ1猪間驥一の描いた日本の戦前史を、小日本主義思想にとっての2つの大きな危機を回避した歴史と解釈し、図式化を試みました。3つめの危機は回避できず、日中戦争・太平洋戦争へと突入していったという捉え方です。 ..
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小日本主義者としての是清1前々回の記事を書いたのは、高橋是清が、石橋湛山の「小日本主義」の最大の理解者の一人であったのではないかと考えはじめたからです。 つまり、戦前のリフレ政策は、日本の産業・貿易を盛んにして、軍国主義者た..