記事「石橋湛山」 の 検索結果 160 件
-
小日本主義者としての是清1前々回の記事を書いたのは、高橋是清が、石橋湛山の「小日本主義」の最大の理解者の一人であったのではないかと考えはじめたからです。 つまり、戦前のリフレ政策は、日本の産業・貿易を盛んにして、軍国主義者た..
-
軍縮15年、政党内閣14年『都市問題』のほうが、どうやら校了したようなので、これから猪間驥一研究の軸足を、「人口問題研究」(上田貞次郎と関連)から「歴史的調査」(石橋湛山と関連)へと移そうと思います(この二つの間の切り替えがど..
-
猪間を湛山に紹介した人物今回の記事は、まったく自分のためのメモです。 『石橋湛山―人と思想―』に収録された、大内兵衛「石橋さんのこと」からの引用で、このエッセーは、少し事情を知っている人には、読んでいると腹が立ってくる内容..
-
大正リベラリズム2つの潮流大学院紀要の原稿には一部をすでに用いているのですが、大正リベラリズム運動の2つの潮流について整理しておきます。 1915年、対支21ヵ条の要求という武力的大陸政策が取られた後の日本の外交について、猪..
-
小日本主義と日本の近代史月曜日の朝、ようやく紀要のための原稿を書き上げました。最終段階になって、新しい資料が出てきたりして(といっても、自分にとって新しいだけですが)、予定していたよりだいぶ手間取りました。 しかも、その後..
-
湛山の表現をそのままに!大学院の紀要のために書いている論文の締め切りが迫る中で、石橋湛山関連の文献から重要なことが分かりました。『湛山回想』の中に次のようなことが書かれています。 私は明治天皇崩御の直後「明治時代の意義」と..
-
投稿論文のこと、研究のこと●先日、『都市問題』のために書いていた原稿が、同誌の3月号に載ることになったという連絡がありました。まだ細かな手直しは必要なようで、完全に解放されたわけではありませんが、こういう原稿を抱え込んでいると..
-
幣原喜重郎の「経済外交」3服部龍二著『幣原喜重郎と二十世紀の日本 外交と民主主義』(2006年)にも、第1部第2章に「経済外交の行方」という節が設けられています。 この中で目についたのが、「北京関税特別会議」のところにある「..
-
幣原喜重郎の「経済外交」1いま幣原喜重郎の『外交五十年』を読みながら軽い興奮状態にあります。 幣原関連の書は、石橋湛山の小日本主義との直接的つながりを示すものはまずないだろうと思い、これまで後回しにしていたのですが、湛山との..
-
1936年の経済学者たち11936年、つまり2.26事件前後の主要な経済学者の言動を追うと、非常に興味深い歴史の断面図が描かれるように思います。ここではそれを、メモの形で書いておきたいと思います(それぞれの活動のあり方の違いと..
-
私にとっての大きな発見2前回に続けて書くつもりが、ゼミで読んでいるC.テイラー『自我の源泉』のレジュメづくりの順番が回ってきたり(こんな難しい本、私が読んでいること自体、信じられないことですが…)、仕事が立て込んでいたりで、..
-
私にとっての大きな発見1みなさま、ご無沙汰しています。とくに論文書きのようなことを始めてから、お目にかかることができないでいる方々、ブログにて近況報告をしているつもりでいた方々には、申しわけなく思っています。 最近、私にと..